昭和42年11月13日 朝の御理解



 例えば新聞なんかを見せて貰うと、矢張り何かちょっと心つく様な見出しがしてありますが、写真が掲載してあったり致しますとそういうのを、先に読んでみたいという気が致しますです。ように今日は築水連合会の信徒会がここで行われる事になっとりますが、まあ20何ヶ所の教会の人達がみえる訳で御座いますけれども、矢張り何と言うても合楽は、そういう意味合いで一つのまあ魅力じゃなかろうかとこう思うんですね。
 魅力というよりも、色々な意味で好奇心を持っておいでられるとこう思うんです。いわゆる見てやろう、聞いてやろうと言った様な、雰囲気が強いんじゃないかと思うんです。だから、見たい人には、見せてやろう。聞きたい者は、聞かせてやろう、と言った様な気張ったものではなくて、どこまでも、矢張り話す、例えば、話しがぎこちなくても、不行き届きな事が、あったに致しましてもです。
 何とはなしに、その真心が溢れておると言う物ですね。そういう私は会合でお話しして貰う様なおかげ頂きたいと言う事を、願いとしておるので御座いますけれども。言わば何とはなしに余韻の残るものと。はぁ今日はこの農繁期の忙しい中に、お参りが多かったとか、そりゃあ立派なお広前とか、お供え物だったとか言った様な事だけが、折角参加した人たちに与えられるものではなくてですたいね。
 と同時に信心のいわゆる有難いもの、それが左程でもなかったけれども帰って何時までも忘れられない様な物。そう言う様なその余韻を持った様なおかげ。どうも今朝からも私し、そこの庭の先からかがんで外を拝ませて貰、いつもここに教旗がふっとこう、立っておってます。今日は二つ立っております旗が。日章旗が揚げてある訳ですね。二つ旗が、まあ賑やかではあります。
 それがまあ大祭とか何か祭事の時ならいざ知らずだけども、何とはなしに、合楽的な、このキザなものを感じます。だから私、すぐ直ぐそれを降ろす様にと今朝から注意した事で御座いますけれどもね。そういうそのものは、あってはならないという、心掛けをね、しなければ持たなければならないと言う風に、まあ思ったんです。成程見てやろう聞いてやろうと言う人達が。
 あろうともそれにはんなら確かに合楽はまあ魅力であり、また好奇心を皆さんが持っておられる事であろうとこう思う。だからその好奇心だけを満たす様な物ではなくて、思いもかけない素晴らしいもの。成程ああいうお広前でも建立出来れる筈だと、言った様な言わばしかもその場ではぁ今日はおかげ頂いたとか、と言った様な物ではなくて帰って何げもない中にですねこう忘れられないもの。余韻が何時までも残る様なもの。
 そう言う様なおかげを皆さんにも頂いて貰たい、私共もそういう後口の良い、後味の良い会合でありたいとこう思う。それにはどこまでも所謂出過ぎらず引っ込み過ぎらず。又は真心その真心を持って事に当たり、又事を処していかなければならない。そう言う様なものを感じましたです。どうぞ私共も矢張りそこに、よその御信者さん方の会合とか、又はお話しとかの中から、
 良いものを頂きたいとこう思うんですけども、今日は何と言うてもここが与える与えるまあ教会と言う事である訳ですね。今日の場合だけはですからそういう意味合いで与える。何ものもないと言った様な事ではいけませんから、日頃の信心をほんとに発揮出来て、そしてそこに思いの込められたもの、そういう親切とでも申しましょうか。
 例えばんなら私ちょっと思ったんですけれども、今日あのパンと牛乳があるですね。ほんとに今日は寒いから、出来たらもし出来たら熱くしてこう、出せる事は出来ないもんだろうか、なんてな事考えたんですけれどもね、そう言う何か思いの込められた言わば、雰囲気をね、作って行きたいと思うのです。
   どうぞ。